昔は、ひどく深遠に思えた謎が――
その謎の周辺を熟知することで、深遠でも何でもなくなるということが、歳を重ねるごとに増えてきました。
その最たるものが――
僕にとっては、物理学の諸法則で――
例えば、相対論や量子力学や熱力学の第2法則は――
それをよく知らないうちは、ひどく深遠に思えた謎でしたが――
それらの入門書を読み、大学生向けの教科書を読み、学術論文の解説書などを読んだりしたあとでは、
(そんなの、当たり前だな~)
と思えてしまうのですね。
もちろん、僕は物理学の専門家ではないし、学術論文をきちんと読めるわけではないのですが――
それでも――
それら諸法則の確立が、どういった実験・観察結果に基づかれ、どういった推論・検証の手順が踏まれていった結果なのかを丹念に理解していけば――
否が応でも、
(そんなの、当たり前だな~)
と思えるのです。
もちろん、僕の理解が間違っている可能性は大いにあるけれども――
それでも――
当の僕は、相対論や量子力学や熱力学の第2法則を「当たり前だ」と感じるくらいに理解できてしまっている――少なくとも、理解したつもりになってしまっている――
これって――
何か大きなものを失ったような気がしてならないのですが――
違うのでしょうかね。
「何か大きなものを失った」のではなくて――
「何か大きなものを手に入れた」と――
果たして本当にいえるのか――
そこが、今一つ、よくわからないのです。
よく知らないことは、よく知らないままにとっておくのが一番よいのではないか、と――
知ることで、かえって感性が摩耗するということを、僕らは、もっと真剣に懸念したほうがよいのではないか、と――
そういう疑問をなかなか打ち消せないでいます。