どんな小さな町にも歴史があり、文化があり――
その町でしか育まれてこなかった何かがあるものなのですが――
そうした「何か」を大切にしている町というのは――
意外に多くはないのですね。
たいていは――
その「何か」が、その町に住む当の人たちによって、ほとんど自覚されていなかったりします。
その町に住む人たちが自覚していないのであれば――
その町の周囲に住む人たちが自覚するわけもなく――
そうであれば――
その町のもっと遠くに住む人たちは、歯牙にもかけないことでしょう。
そうやって――
町の個性は遮蔽され(場合によっては破壊され)てきたのだと思うのですが――
鉄道や幹線道路などの交通網が整備され、インターネットやモバイル・フォンなどの情報網が発達した現代日本では――
そうした町の個性の遮蔽は、当然の帰結といえます。
遠くの大都市に自由に行き来できたり、そこでの情報が正確かつ大量に入手できれば――
自分たちの住む町の個性を自覚できなくなって当たり前です。
僕の住んでいる宮城県で例を示せば――
石巻や白石や築館に住みながら、仙台に住んでいるかのように錯覚することで――
石巻や白石や築館の個性に無自覚になるということは、十分にありうるでしょう。
現代日本の利便性を享受するなら、町の個性の遮蔽は受け入れざるを得ない帰結です。