マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

変と乱との分類に絡めないのがよい観点

 ――争いの規模が大きければ「乱」であり、小さければ「変」である。

 ということを――

 5日前の『道草日記』で述べました。

 

 この命題は――

 わりと重要そうな別の主張を暗に示しています。

 

 それは、

 ――その争いが“変”か“乱”かということと、その“争いの帰結”がどうなったかということとは、本質的には無関係である。

 という主張です。

 

 ――変

 や、

 ――乱

 では、争いを仕掛けた者たちが必ず存在をします。

 

 その者たちの企てが、成功をしたか、失敗をしたか、ということと――

 その争いが、その後に「変」と呼ばれるか、「乱」と呼ばれるか、ということとは――

 基本的には、関連がありません。

 

 一般に、

 ――変

 といいますと――

 政権側が反政権側を、その勢力が弱いうちに打ち負かしてしまったり、切り崩してしまったりしたことが暗示をされます。

 

 つまり、

 ――変

 では、政権の交代は起こりません。

 

 一方、

 ――乱

 といいますと――

 政権側が反政権側の強い勢力によって倒されたり、倒されそうになったりしたことが暗示をされます。

 

 つまり、

 ――乱

 では、政権の交代が起こる場合と起こらない場合とがあるのです。

 

 加えて――

 

 ――変

 の中には――

 例えば、織豊期における、

 ――本能寺の変

 のように、政権の交代が確かに起こったような事例が含まれます。

 

 ――本能寺の変

 では、織田信長の政権が明智光秀の裏切りによって瓦解をしました。

 僅かな数の近習のみを率いて京の寺である本能寺に宿泊をしていた織田信長は、明け方に明智光秀の軍勢に襲われ、暗殺も同然に、自殺へと追い込まれました。

 

 要するに、

 ――変

 においても――

 政権側が必ずしも反政権側を打ち負かしたり、切り崩したりしているとは、ちょっと、いえないのですね。

 

 このように、

 ――争いの帰結

 という観点から考えていくと、

 ――変

 も、

 ――乱

 も、どんどん細分化をされていきます。

 

 どんどん細分化をされていけば――

 そもそも――

 最初の段階で、なぜ、

 ――変

 と、

 ――乱

 との2つに分類がされていたのかが、よくわからなくなるのです。

 

 よって、

 ――変

 と、

 ――乱

 との分類には、

 ――争いの帰結

 という観点を絡めないほうが、わかりやすくなる、と――

 僕は考えています。