現実の世の中には――
絶対的な正義などはなくて、絶対的な悪もありません。
そのことを――
たいていの大人たちは理解しているわけですが――
ときどき――
さも「絶対的な正義」や「絶対的な悪」に立脚して物をいってしまっている大人をみかけます。
そんな「正義」や「悪」は存在しないとわかりきっているのに、立脚してしまうのですから――
ちょっと、おかしなことなのですが――
でも――
そういう大人は、決して少なくはないのですね。
ひょっとすると――
自分では、まったく気づいていないのかもしれません――自分が「絶対的な正義」や「絶対的な悪」に立脚してしまっているということに――
なぜ、気付けないのか――
簡単です――「絶対的な正義」や「絶対的な悪」を相対化するのには、甚大なエネルギーが要るからです。
そうした「正義」や「悪」の相対化というのは、思いのほか、面倒なことです。
勇気ある決断が要るし、手間のかかる思考が要る――
今――
それを実感できる好例があります。
アメリカによるシリアへの軍事介入です。
アメリカ政府は、シリア政府が反政府組織との戦闘で化学兵器を用いたとして、これを厳しく指弾――
軍事介入の構えをみせています。
さも「絶対的な正義」があるかのように振る舞っています。
そうしなければ、軍事介入の正当性が成り立ちませんから、自然な成り行きです。
そのアメリカ政府のいう「絶対的な正義」の相対化を考えてみましょう。
これは意外に大変です。
少なくとも、小学生くらいの子供に納得させるだけの論理を構築するのは至難の技です。
勇気が必要です。
手間もかかります。
アメリカ政府のいう「絶対的な正義」に立脚してしまうほうが、数段、楽に違いありません。