マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「事実」と「小説」とを切り分けるところ

 ――事実は小説よりも奇なり。

 というのは――

 例えば――
 スポーツの試合をみていて、一番に実感できますね。

 現実の試合では、
(え?)
 という終わり方をする――

 TV中継の実況アナウンサーが、

 ――なんという幕切れでしょう!?

 などと大絶叫をしたりして――

 同じ終わり方を――
 虚構の試合でさせたら――
(なに、それ……)
 と、一気に白けムードが漂うでしょうね。

 虚構の試合では、ある程度の計算(シミュレーション)で展開を盛り上げないといけない――

 計算をせずに展開を盛り上がることは、まず、ありえないといってもよいでしょう。

 一方――
 現実の試合では、そもそも計算が成り立たない――

 物事は、決して計算の通りには進まない――
 そこにこそ、一義的な面白さが隠されている――

 結局のところ、「事実」と「小説」とを切り分けるところは――
 計算の有無なのです。

 計算に惹かれる人は、「小説」を好み――
 計算を忌み嫌う人は、「事実」を好むでしょう。