マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

退屈なんてありえない

 ――毎日の退屈な生活から脱するには、どうしたらよいのか。

 と問われたら――

(そんなの、個人の問題だ)
 と思います。

 この世の中にいる限り、本来、
(退屈なんてありえない)

 そう思っています。

 そもそも――
 たとえ、どんなに刺激的な生活を送っていても、その“刺激”への感受性が摩耗している人にとっては、この世の中は、つねに、

 ――退屈

 なのです。

「退屈」とは――
 周囲に“刺激”がない状態をいうのではなくて――
 周囲の“刺激”を感受できない状態――あるいは、周囲の“刺激”を拒絶している状態――です。

 通常、「周囲に“刺激”がない」ということは、あの世にでも行かない限り――いや、たとえ、あの世に行ったとしても――たぶん、ありえないでしょう。

 どんな些細な“刺激”でも的確に感受する意志さえあれば――
 毎日の生活は、たいそう刺激的なものになるのです。

“刺激”とは、変化のことに他なりません。

 そして――
 この世の中から変化が失われることは、まずないといってよい――

 つまり――
 どんな人にとっても、世の中は“刺激”で満ち溢れている――その気になりさえすれば――

 そう思います。