マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

争いを中心に取り込むと物語は躍動するけれど

 争いを中心に取り込むと――
 物語は躍動するものです。

 その典型が勧善懲悪の物語で――
 善と悪との「争い」を物語の中心に取り込んでいるわけですね。

 しかも――
 その「争い」が善と悪とのものであれば――
 物語の受け手は、どちらに感情移入すればよいか、たちどころに了解できるので、ほとんど悩む必要がありません。

 その「善」が、よほど共感しにくい不出来な「善」でない限り――
 その「悪」が、よほど共感しやすい不出来な「悪」でない限り――
 物語は受け手の心を常に揺さぶり続ける――
 つまり、物語が躍動し続けるのです。

 でもね――
 争いが中心にある物語というのは、
(なんか気味が悪い)
 と、僕は思うのです。

 その躍動に魅せられている受け手の心理を想像すると――
 恐ろしい――

 その「心理」というものは、おそらくは集団心理でしょう。
 ふつう物語の受け手というものは、不特定多数だからです。

 争いに魅せられている集団心理というのは、いつか思わぬ形で暴発しないとも限らないでしょう。