どういうわけか、
――荘子、八千年の春
という言葉を――
まるで昨夜のことのように、思い出しております。
NHKの大河ドラマ1988年の作品『武田信玄』の一話に、
――八千年の春
というタイトルのものがありまして――
引用元は『荘子』です。
中国・戦国時代の思想家・荘子が書き遺したとされる書物が『荘子』ですね。
その『荘子』の内編『逍遥遊』に、次のような一節があるといいます。
――上古に大椿なるものあり。以て八千歳を春と為し、八千歳を秋と為す。
つまり――
大昔、大椿(たいちん)という老木があって、八千年をひと春とし、八千年をひと秋としていた――
というのですね。
ひと春やひと秋が八千年なので――
その老木にとって、四季のめぐりは三万二千年ということです。
もちろん、現代の生物学の知識と照らしあわせたときに――
ツバキが、8000年間にわたって花を咲かせつづけたり、実をならしつづけたりすることは、ありそうにもないことです。
では、荘子が主張したことは荒唐無稽かといえば――
たぶん、そうではなくて――
例えば、宇宙空間に輝く恒星の寿命は、100億年くらいだったりするわけです。
荘子の主張は、「大椿」を「恒星」に変えれば、今日でも、十分に説得力をもってきます。
荘子が「大椿」を引いて言い表したかったことは、おそらく――
寿命が100年にも満たない人間が、寿命が100億年の恒星の一生さえも考えてしまうことの不条理性あるいは不合理性でしょう。
1988年の大河ドラマ『武田信玄』で、
――八千年の春
と呟くのは、主人公の武田信玄です。
京の足利将軍家の求めに応じて上洛の兵を挙げようとしている信玄が、ふと自身の寿命の短さに思いを寄せた場面であったでしょうか――
さすがに、物語の細部は、もう忘れてしまいましたが――
たしか、この時、信玄は結核(労咳)を患っていたのですね。
信玄が上洛を果たせず、征路で病没するのは――
史実も伝える通りです。
大河ドラマ『武田信玄』が放映されていた1988年に――
僕は15歳でした。
それから25年が経っています。
25年前のドラマのシーンを、つい昨夜のことのように思い出してしまうのも――
人間の心理の不条理ないし不合理でしょう。
荘子が指摘したかったことと、そんなには離れていないはずです。