マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

嫌なニュースの「嫌さ」への感受性

 ここ数日――
 嫌なニュースを見聞きしますね。

 何となく後味の悪いニュース――

 あるいは――
 どうしようもなく酷いニュース――
 どこまでも救いようのないニュース――

(そういうニュースは10年前とか20年前よりも増えているんじゃないか)
 と思うときがあります。

 実際は、どうなのでしょうね。

 増えているのでしょうか。

 実は――
 ほとんど増えていないのではないかと考えています。

 増えていると思えるのは、
(僕自身の感受性が変化したから……)
 ではないか、と――

 つまり――
 同じようなニュースを見聞きして、

 ――うわ~、嫌なニュースだな~。

 と感じる能力が年齢と共に上がったからではないか、ということです。

 嫌なニュースの「嫌さ」への感受性――
 そういう概念に着眼しても良いのではないかと思います。