マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「あればあるほどに使ってしまう」の虚しさを

 最近では、

 ――年収300万円くらいが、この国では最も幸せに暮らせる。

 などといわれていますね。

 ――人は、おカネを手元にあればあるほどに使ってしまうので――

 というのが、その主な理由のようです。

 たしかに、「あればあるほどに使ってしまう」というのは――
 多くの人が実感している現実のようで、
(この人は、かなり高収入なんだろうな~)
 と思われるような人たちと繰り返しお話をしていると――
 一度くらいは耳にする言葉です。

 僕自身も――
 親の仕送りやアルバイト代で暮らしていた学生時代と社会人になってフルタイムで働くようになった今とでは――
 たしかに、おカネの使い方は違います。

(学生の頃は、あんなに節約できたのにな~)
 と思うことがしきりです。

 だから、

 ――年収300万くらいが最も幸せである。

 という主張には強烈な説得力を感じるのですが――

 でもね――
 やっぱり、僕は、どうしても「年収300万くらいが最も幸せ」という考え方に疑問をもちます。

 おそらく、「年収300万くらい」という数字それ自体が大事なのではなくて――
 例えば「年収1300万くらい」の生活を知った上で「年収300万くらい」の生活に満足できること――
 それこそが本質なのです。

 つまりは、

 ――足るを知る。

 の精神が十分に熟成されているか否か――

 思うに、「年収500万」や「年収1000万」の現実を知らないままで、「年収300万」の現実に幸せを感じられている人というのは――
 おそらく、近い将来、かなり些細なことで、その「幸せ」に幻滅しうるでしょう。

 おカネについて、「あればあるほどに使ってしまう」の虚しさを一度でも体感しない限りは、「年収300万」の幸せは絵に描いた餅だと思うのです。