人が言葉を使うのではない――
言葉が人を創るのだ――
そういう説明が、しばしばなされます。
僕も、
(まったくその通りだ)
と思っています。
人は、言葉はコミュニケーションの道具に過ぎないと思っているけれども――
残念ながら、言葉が一人歩きをして、その言葉を発したとされる人物の人格を決定的に修飾してしまうことが、よくあるのです。
例えば――
常日頃、
――AでないならばBでないといえる。
と慎重に発言している人がいたとします。
今この人のことを便宜上「Cさん」と呼ぶことにしましょう。
Cさんは、その後も毎日「AでないならばBでないといえる」と繰り返していた――
にもかかわらず――
ある日、別の誰かが、
――Cさんは、きのう、ついに「AならばBだ」といったらしい。
といったとします。
すると、途端に、
――おお~! ついに、Cさんが断定したぞ!
と皆が色めき立つ――
――Cさんも、いうときはいうんだな~。
――本当にそうだな~。見直したよ。
と――
そういうことが――
少なからずあるということです。
言葉が人を創るとは、そういうことです。