マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

冗長に感じられる表現の中にも

 何でもかんでも直接的にいえばよいというものではありませんね。

 例えば、

 ――どんな場合でも嘘をつくな。 :(A)

 というのと、

 ――昔、どんな場合でも嘘をつこうとしない友人がいた。彼は、誰に対しても謙虚であり、年下の者に対して傲慢に振る舞うことはなく、つねに笑みを絶やさない男であった。 :(B)

 というのとでは――
 まったくといってよいほどに、意味が違います。

 大まかには同じです。
 どちらも「どんな場合でも嘘はつかないほうがよい」が大意です。

 よって、(A)のように「どんな場合でも嘘をつくな」と短く指摘するほうが――
 一見スマートに感じられます。

 が――
 実際の人世では、どんな場合でも嘘をつかないようにするというのは、至難です。

 そのことが、(A)では伝わりません――(B)なら、少しは伝わるでしょう。

 人は(B)で言及された「友人」のように振る舞うことは、大変に困難です。
 そんな振る舞いが可能な「男」だったからこそ、「どんな場合でも嘘をつかないようにする」が実践できたに違いありません。

 冗長に感じられる表現の中にも、省くことのできない意味が隠れていることは――
 決して少なくはないのです。