人は誰しも過ちを犯します。
どんなに優れた才覚の人でも、過ちを犯します。
その過ちによる損害をいかに埋め合わせるかに、その人の才覚の優劣がかかっているといってよいでしょう。
場合によっては――
過ちによる損害を「損害」とはみなさずに、
――想定外の利益
とみなすような発想の転換も――
有意義に違いありません。
過ちは、多くの場合、最初から「過ち」とわかるものではありません。
しばらくあとになって――あるいは、だいぶあとになって、
――あ、あれは過ちだった。
とわかるものです。
その時に、自分の過ちによる損害を正しく見積もり――場合によっては「想定外の利益」と見積もり――
その上で、自分の行動を決めていく――
それが、人の才覚の本質であろうと思います。
過ちを犯さないことが優れた才覚ではないのです。