――自分たちのサッカー
という言葉をよく耳にしています。
今月ブラジルで開催されているサッカーのワールド・カップに臨んで――
日本代表チームの選手や関係者の皆さんが、記者会見などで口にされていた言葉です。
周知の通り――
日本代表チームは、きのう早朝の試合に 1-4 で敗れ、グループ・リーグ敗退が決まりました。
国内の世論は、事前にグループ・リーグの勝ち抜けが既定路線であるかのように受け止めていたために――
思いがけない結果を受け、日本代表チームへの風当たりはキツくなっています。
しぜん「自分たちのサッカー」という言葉も、やり玉にあげられることが多くなっています。
――「自分たちのサッカー」って何だよ! 理想は語らず、現実に勝てるサッカーをやれよ!
といった主旨の非難が多いようです。
ところで――
この、
――自分たちの○○
というのは――
特段、サッカーに限りませんよね。
スポーツの世界では、
――自分たちの野球
――自分の走り
などと、あちこちの分野で幅広くいわれます。
僕は、学究の世界などにも当てはめてよいのではないかと思っていて――
例えば、
――自分たちの科学
といったりもしています。
「自分たちの○○」というのは、簡単にいうと、
――他者から与えられた○○ではない。
という意味です。
ここでいう「他者」とは、先達や指導者を指します。
先達や指導者から、「ああしなさい」「こうしなさい」といわれる前に――
自分たちで情報を収集し、分析し、考察し、自分たちが実践したいスタイルを創造し、ときには激論を交わし、厳しく批判をしあっていく中で、自然と獲得された結論――
それが、「自分たちの○○」です。
ですから――
「自分たちのサッカー」というのは、決して「理想」なのではありません。
むしろ、きわめて現実的です――「現実に勝てるサッカー」を指します。
なぜならば――
サッカーは勝利を目標にゲームを行うスポーツですので――
今回のワールド・カップで、日本代表チームが「自分たちのサッカー」を目指したことに誤りはありません。
自分たちで情報を収集し、分析し、考察し、自分たちが実践したいスタイルを創造しない限り――
世界最高峰の舞台で目標を達成できるはずはありません。
いま懸念すべきは――
今回の日本代表チームの掲げた「自分たちのサッカー」が、本当に「自分たちの○○」であったかどうか――先達や指導者から与えられたサッカーではなかったか――
そこだろうと思います。
記者会見の場で、
――自分たちのサッカーができなかった。それが悔しい。
とコメントを残した選手が何人かいらっしゃいました。
あえて厳しい言い方をすれば――
もし、その「自分たちのサッカー」が本当に「自分たちの○○」であったならば――
どんなに困難な状況にあっても、「できなかった」ということはないはずなのです。
「できなかった」のであれば、それは「自分たちのサッカー」以外の何かであったのでしょう。