マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「社会正義」

 ――正義
 
 というと――
 いわゆる、
 
 ――正義の味方、スーパーヒーロー
 
 を思い出して――
 何となく幼稚な印象を抱く人が――いたいけな子供を除けば――けっこう多いのではないかと思います。
 
 ところが――
 その「正義」の前に「社会」をつけ、
 
 ――社会正義
 
 とすると――
 急に「幼稚さ」が薄まるようなところが、ありませんかね。
 
 場合によっては、「幼稚さ」が完全に消えてしまうかもしれない――
 
 例えば――
 凶悪犯と目される人物が逮捕され、刑事裁判で有罪が確定した場合に、
 
 ――社会正義が守られた。
 
 というコメントが発せられたとしても――
 特段それを「幼稚だ」と感じる人は少ないのではないか、と――
 そう思うのです。
 
     *
 
 ――社会正義
 
 を辞書で調べると、
 
 ――人間が社会生活を営む上で正しいとされる道理
 
 とあります。
 
(まあ、たしかに、これなら幼稚ではないな~)
 と僕は思うのですが――
 それは、
 
 ――正しいとされる道理
 
 という慎重な言い回しに依るところが大きいのです。
 
 もし、「人間が社会生活を送る上で正しいとすべき道理」であれば、
(ちょっと待てよ~)
 と思います。
 
 最終的に何を「正しい」とみなすかは――
 個人によって微妙に異なるからです。
 
「社会正義」という言葉は――
 少なくとも「正義」という言葉と同じくらい慎重に口にするほうがよいだろう、と――
 僕は考えています。