マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「いってもしょうがないこと」をいかにいうか

 世の中には、
 
 ――いってもしょうがないこと
 
 というのが、ありますよね。
 例えば、正しすぎる正論であったり、実現不可能な提案であったり――
 
 そういうことを、
 
 ――いってもしょうがいから……。
 
 という理由だけで、いわないでいるのは――
 少しもったいないように、僕は思っています。
 
「正しすぎる正論」は、物事の正誤を理想的ないし理念的に判断する際には基準になりえますし――
「実現不可能な提案」は、実現不可能なのは今であって遠い未来には実現可能かもしれないし――
 
 では――
 そういった「いってもしょうがないこと」は、どうやって口にしたらよいのでしょうか。
 
 ふつうにいったのでは、誰の関心も集めないか激烈な批判を浴びるでしょう――「いってもしょうがないから……」という理由で――
 
 なので――
 僕は、「いってもしょうがないこと」は、
(娯楽を提供すると思って、いうしかない)
 と思っています。
 つまり、聞く人を楽しませようと思っていう――決して、説得したり、強制了解させたりすることを目的とはせずに――
 
 日本の伝統話芸である落語の原点も――
 案外、この辺にあるのかもしれません。