僕は――
子どもの頃から、どういうわけか――
男性よりも女性を主人公にした物語に惹かれていまして――
男性が主人公だと、すぐに醒める自分を自覚するのですが――
女性が主人公だと、一気にのめり込む自分を自覚するのです。
気分が楽なんですよね。
女性が主人公の物語を追う方が――
(へえ、このヒロイン、そういう人なんだ~)
と、素直に面白がれる――
僕は男だから、女性のことはよくわからないのです。
一方――
男性が主人公だと、
(いや、それはないだろ)
と、意地悪く突っ込んでみたくなってしまう――
(ここで、こんなふうに行動する男は信用できん)
とか――
……
……
僕が物語に求めたいのは、自由や定型です。
しがらみやリアリティに惑わされることなく、自由に物語を展開していってほしい――
自分が心の底から希望できる定型的な展開で、物語を展開していってほしい――
そのためには、同性の主人公は邪魔なのです――異性の主人公のほうが、ずっと都合がよい――異性のことは、よくわからないから――
でもね――
……
……
そういう物語って、傍目には、ろくでもない物語なんですよね~。
よくわからないものだから――
無責任になれるんですよ。
……
……
ひと昔前、ある海外のアクション映画監督が、インタビューで、
――なぜ、あのシーンでヒロインに、あの決めゼリフや決めポーズをさせたのか。ちょっと唐突すぎたのではないか。
と訊かれ、
――ああした決めゼリフや決めポーズが、僕は子どもの頃から大好きだったんだよ。ほかに理由なんて、ないよ。
と笑って答えていました。
僕も、そのインタビュアーと同じ感想をもっていたのですが――
その答えを聞いて、
(なるほど……)
と思いました。
要は、
――物語は、わかる人にわかってもらえればいい。
ということだったのです、おそらくは――
ちなみに――
そのアクション映画監督は――当然のごとく――男性です。
中年の男性でした。