マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「何も知らない、何もわからない」と実感することこそが

 人には――
 一生のうちで、一定の期間、
 
 ――これ以上は無理……!
 
 と思えるくらいに勉強をする経験が――
 ないよりは――
 あるほうがよいように思っています。
 
 実は、「これ以上は無理……!」と思えるくらいの勉強をすることが有益なのではなくて――
 そのような勉強が必要だと悟ることそれ自体が有益なのだと思っています。
 
 人は、
 
 ――自分は、何も知らない、何もわからない。
 
 と実感するときに、死にもの狂いで勉強をします。
 
 あとになって、「あれ以上は無理だった」と思えるくらいの勉強をします。
 
 つまり、「何も知らない、何もわからない」と実感することこそが、もっとも大切なのですね。
 
 ここで気になる点は――
 そのような実感は何歳で経験するのがよいのか、ということです。
 
 もちろん、人の一生に限りがあることを考えれば、若ければ若いほどよいのでしょうが――
 現実問題として、そのような実感には、
 
 ――学習体験の挫折
 
 を待たねばなりません。
 
 おそらく、小学生には無理でしょう。
 通常の小学校教育では、そのような「学習体験の挫折」が不可能だからです――そのような挫折には、相応に高度な学習題材・教材が必要だからです。
 
 最も早い人で中学生、最も遅い人で社会人1~2年目といったところでしょうか。
 
 僕は、高校生の終わり頃から高校卒業後1~2年目が最適だと感じています。
 高校1年生では少し早い――高校卒業後3~4年目では少し遅い――と感じています。