マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

言葉の試験を本気でするならば

 ある言葉について――
 
 その言葉の意味が本当にわかっていれば――
 その言葉を完全に使いこなすことができ――
 
 その言葉を完全に使いこなせていれば――
 その言葉の意味が本当にわかっている――
 
 そういう関係にあると――
 僕は思っています。
 
 つまり、
 
 ――言葉の意味がわかる。
 
 と、
 
 ――言葉を使いこなせる。
 
 とは等しく同じことである――
 ということですね。
 
 ちなみに――
「言葉の意味がわかる」とは、その言葉が担ってはいない意味をも自在に指摘できる、ということであり――
「言葉を使いこなせる」とは、その言葉が使えない文脈をも自在に指摘できる、ということです。
 
 よって――
 もし、言葉の試験というものを本気で行うならば――
 つまり――
 ある言葉について、その言葉の意味が本当にわかっているか、その言葉をきちんと使いこなせているかを、真剣に問うならば――
 
 その言葉の正しい語意や用法よりも、誤った語意や用法を指摘させる形式のほうが適している、と――
 僕は思っています。