マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

脳が、ひしゃげた眼鏡のレンズのようになっていて

 何をみても何をきいても何を感じても――
 つい嫌味なことを思いついてしまう時があります。
 
 極端な話、
 
   6 + 4 = 10
 
 のような極めてニュートラルなことを思いついただけなのに、
 
 ――「6」と「4」でムシ(無視)か。そうえいば、あいつ、この前、オレのことを無視してた。
 
 というように――
 もう、ほとんど言いがかりのような思いつきです(苦笑
 
 そういう時は――
 さっさと布団に入って深く寝入ってしまうに限ります。
 
 どうせ、そのまま起きていても、何ら良いことはありませんから……きっと――
 
 人は、末梢の感覚器で受容した情報を中枢の脳で感受しています。
 
 何をみても何をきいても何を感じても、つい嫌味なことを思いついてしまう時というのは――
 たぶん――
 脳が、ひしゃげた眼鏡のレンズのようになっていて――
 感覚器で得た情報が脳の内部で歪んだ形に結像されているのです。
 
 その“ひしゃげた眼鏡”が、さっさと布団に入って深く寝入ってしまうことによって、すっかり直っている――
 ということが、僕は、あるように思います。
 
 逆にいえば――
 脳が“ひしゃげた眼鏡”になっている時は――
 何をみても何をきいても何を感じても、意義に乏しいのです――実際に、ひしゃげた眼鏡をかける意義が乏しいように――