――「叱って伸ばす」から「褒めて伸ばす」へ
との文言が、学校教育や職場研修での一般的なスローガンになってから、久しく経ちますが――
最近、
――叱りもしない、褒めもしない。自分で考えさせる。
というスローガンも掲げられるようになってきたそうです。
(まともだな~)
と感じます。
叱っても良いことはない――ただ後味の悪さを残すだけ――場合によっては、理屈抜きで恨まれる――
褒めても良いことはない――短期的には良いかもしれないが、長期的には褒められる快感に依存するだけのこと――
こういう見解は、
(成熟した考え方だな~)
と、僕には思えます。
もちろん――幼児教育の場合は、別でしょう。
学校教育も、小学校などでは、また少し違った見解が必要なのかもしれません。
あくまで――
思春期以上の人たちが対象の場合です。
叱ったり褒めたりすることが、なぜいけないのか。
それは――
叱ったり褒めたりすることが、実は単なる教唆にとどまらず、叱る人や褒める人の感情の開示になっているからです。
僕は、この「感情の開示」こそが余計ではないかと思っています。
一方的に怒鳴りつけて叱るのは、感情の投げつけです。
これは、基本的には、つぶてを投げつけるのと変わらない――
甘言を駆使して褒めあげるのも、感情の投げつけといえましょう。
こちらは、例えば、札束を投げつけるようなものでしょうか。
そうではなくて――
できるだけ感情を抑え、叱る代わりに悪い点を指摘し、褒める代わりに良い点を指摘する――
それで十分ではないかと、僕は思うのです。
こうした教育・研修方針の基盤には――
人は、自分の良い点や悪い点について、根拠の説明とともに冷静な指摘を受けることで初めて、自己を省み、感性を研ぎ澄ませ、思考を練り上げ、決断を下すものである――
との前提があります。