海外の人と教育制度の話をしていると――
日本の教育制度が、
――いかに等質か。
ということを実感させられます。
「等質」というのは、地域によって違いがない、公立学校や私立学校で違いがない――ほどの意味です。
海外に目を向けると――
とくにアメリカやイギリスでは――
地域や公・私の区別が甚大のようです。
例えば、義務教育の開始年齢や学校年度の開始時期が違っていたりする――
当然、教育の手法や内容も応分に違うのでしょう。
その代わりに、全国共通の試験があって、個人の学力は、その試験でどれほどの成績をあげたかによって判断されるそうです。
履歴書で有効なのは、卒業した学校の名称ではなく、そうした試験での成績なのだとか――
とにかく――
あまりにも地域や公・私によって違うので、
――自分たちの国は、こういう教育制度になっている。
と一概には説明できないのだそうです。
日本では、説明できてしまう。
――6歳で義務教育が開始され、4月に学校年度が開始され……。
というように――
つまり――
教育制度を「日本」という国名でくくれてしまう――
ということですね。
こんなふうに等質の教育制度が、世界では多数派なのか少数派なのかは知りませんし――
等質の教育制度が有効なのか有効でないのかも、僕にはわかりませんが――
少なくとも日本で教育を受けた者は――
この「等質」性をうっかり失念したりはしないほうが、良さそうです。