マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

真心のこもった作り笑いというのも

 僕は、作り笑いをするのがイヤなのですが――
 
 それは、
 
 ――作り笑いには真心がこもらないのではないか。
 
 と考えてきたからです。
 
 ところが――
 最近、
(どうも違うな)
 と思うようになってきました。
 
(もしかしたら、真心のこもった作り笑いというのも、あるのかもしれない)
 と――
 
 なぜ、そう思えるのか――
 
 理由は、いくつか考えられますが――
 
 もっとも僕の心に響く理由は――
 作り笑いとは、いつも心に余裕があって謙虚に振る舞えるからこそ、できるものではないか――
 というものです。
 
 たしかに、作り笑いそれ自体に真心はこもらないかもしれないけれど――
 そうした作り笑いが自然とできるよう、日頃から準備を怠らないようにする――そうした準備の気持ちには真心がこもりうるのではないか――
 そう考えてみたのですね。
 
 真心のこもった作り笑いというのも――
 たしかに存在するような気がしています。