マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「忙しい」や「疲れた」は零さないほうがよい

 ――「忙しい」とか「疲れた」とかいうのはやめなさい。たいていは、いってもしょうがないことだから――

 という考え方があります。

 人が「忙しい」とか「疲れた」と零(こぼ)すときは――
 たいていは、本当に忙しくて本当に疲れているときです。

 よって、「忙しい」も「疲れた」も、

 ――ごく当たり前のこと

 であり、

 ――いってもしょうがないこと

 となります。

(たしかにな~)
 と――
 僕も思いますが――

“ごく当たり前のこと”であるから、“いってもしょうがないこと”であるというのは――
 ちょっと違う気がします。

“ごく当たり前のこと”は、多くの人たちによって、

 ――当然である。

 と思われていることなので――
 万が一、食い違っていたら大変です。
 

 よって、何が“ごく当たり前のこと”なのかは、常に誰かと確認をしておく意義があります。
 決して“いってもしょうがないこと”ではありません。

 では、「忙しい」や「疲れた」は、なぜ“いってもしょうがないこと”なのでしょうか。

 それは――
 多忙も疲労も、自分にとっての“当たり前のこと”であって、自分以外の誰かにとっては、必ずしも“当たり前のこと”ではないからです。

“当たり前のこと”でないばかりか――
“どうでもいいこと”であったりします。

 よって、常に誰かと確認をしておく意義はありません。

「忙しい」や「疲れた」を零さないほうがよいというのは――
 そういう理屈によるといえましょう。