マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

名前

 物語などの登場人物の名前は――
 たいていは、その物語の作り手が決めているはずですが――

 その決め方には2通りがあるようです。

 1つは、その登場人物が物語で果たす役割を示唆するような名前――
 もう1つは、まったく物語とは無関係の名前――

 例えば――
 熱血野球マンガの主人公を、

 ―― 球魂 烈火 (きゅうこん れっか)

 とするか、

 ―― 安藤 翔 (あんどう しょう)

 とするかですね。

 名前は記号なので――
 その記号によって物語に関わる何らかの事柄を暗示しようとするのは、たぶん標準的な手法ではありませんが――
 
 それでも、主人公が 「球魂 烈火」 であれば、物語の雰囲気は、だいぶ変わるでしょう――いかにも「熱血」な感じが伝わってきますし、何よりも、

 ――この物語では、リアリティを追求しない。けっこう荒唐無稽である。

 というメッセージが伝わってきます。

 これに対し、「安藤 翔」 であれば、この名前に単なる記号としての意味以外の何かを付与することは難しいので――
 それなりにリアリティの感じられる物語になるでしょうが――
 それゆえに、逆に熱血野球マンガの主人公の名前であることの必然性が、わかりづらくなります。

 例えば、「安藤 翔」 なら、ラブロマンスの主人公の名前であってもよいわけですね。

 登場人物の名前をどちらの発想で決めるかは――
 もちろん、物語の作り手に委ねられていることですが――
 自分が作り上げたい物語の性格をよく考えて決めなければ、物語が壊れてしまうことは確かです。

 リアリティの追求する物語で 「球魂 烈火」 はおかしいし、いかにも「熱血」な物語なのに 「安藤翔」 では、ちょっと調子が狂ってしまう――

 登場人物の名前には、物語の土台を揺るがしかねない要因が潜んでいます。

 それは、物語の中で、登場人物の名前が背負っている文脈は、思いのほかに広くて深いということです。

 このことは――
 私たちが暮らす現実の世界にも、ある程度は通底していることかもしれません。

 例えば――
 ちょっと想像してみましょう。

 隣家の表札が 「安藤 翔」 である場合はともかく――
 もし、「球魂 烈火」 であれば、

 ――ええ?

 と訝ることになるでしょう。

 ――いったい、どういうことだ?

 と――

 ――このまま、ここに住んでて大丈夫かな。

 と心配を始める人も――
 いるかもしれません。