数学の問題を考えることの良さは――
様々な価値観と無関係でいられる点にあるといえましょう。
例えば、下記の数学の問題、
黒石および白石・計9個を縦3個・横3個に並べるときに――
黒石2個が縦や横に連続して並ぶことのない並べ方は何通りあるか?
を考える場合に――
自分の価値観――人生観や家庭観、社会観、国家観など――が厳しく問われることは、まずありません。
ところが――
例えば、下記の問題では、それら価値観が厳しく問われます。
ジャーナリストが紛争地へ身を危険にさらしてまで赴く意味は何か――
そもそも、そうまでしてジャーナリストが紛争地へ赴く理由はあるのか?
どちらの問題も――
自分の知識や経験をもとに、自分の感性に基づく論理力(理性の力といってもよいでしょう)をフル稼働させなければ――
答えられないはずですが――
黒石および白石・計9個の並べ方の問題は、紛争地へ赴くジャーナリストの問題とは異なり――
人はどう生きるべきかといった道徳観や、国家はどう在るべきかといった倫理観を考慮しないで済む気楽さがあります。
そのような気楽さがあるからといって、答えるのがそんなに難しくないということは決してなく――
黒石および白石・計9個の並べ方の問題についても――
その答えを求めるのは、けっこう困難ですし――
その答えの求め方を合理的に説明するのは、もっと困難です。
とはいえ――
この手の問題に答えるのには――
自分の人生の最終目標や、自分の国の政府への信頼感といった――しばしば家族や友人・知人らと深刻に食い違いかねない論点は、入り込む余地が一切ありません。
そういった食い違いの心配をしないで、自分の理性の力をフル稼働させられる喜びというものが、人の知的営為の中には、いくつか存在していて――
それら喜びうちの1つが、数学の問題を考える喜びであろう、と――
僕は思うのです。
ちなみに――
黒石および白石・計9個の並べ方の問題の答えは――
並べられた黒石および白石・計9個を自由に回転させるならば――つまり、回転させたら一致する並べ方どうしを区別しないのなら、
21通り
です。