マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

不協和音

 録音された演奏の音楽を聴いていて――
 何らかの不協和音に気づくと――

 最初のうちは――
 その不協和音が気になって仕方がないのですが――

 何度も繰り返し聴いていると――
 しだいに、その不協和音が気にならなくなっていくのですね。

 気にならないからといって――
 不協和音が協和音になって聴こえているわけではないのですが――

 不協和音であっても――
 なぜか、そんなに不快には感じられないのですね。

 なぜでしょうか。

 おそらく――
 それが、

 ――正確に予測される不協和音

 であるからでしょう。

 録音された演奏を繰り返し聴いているわけですから――
 どんな不協和音がどのタイミングで発せられるのか、正確に覚えてしまっているのですね。

 ということは――
 不協和音の不快さは――
 和音の乱れそれ自体には起因するのではなく――
 不意打ちをされることに起因している――

 そういうことではないかと思うのです。

     *

 ひょっとすると――

 人の世の“不協和音”についても――
 同じことがいえるかもしれません。

「人の世の“不協和音”」というのは、もちろん――
 軋轢・係争などの人間関係のトラブル全般を指します。