マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

そりゃあ、たしかに「重荷」だ

 徳川家康が残したとされる言葉に、

 ――人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。

 というものがあります。
 口語訳をすれば、

 ――人生は重荷を背負って遠い道のりを進むようなものだ。

 くらいになるでしょうか。

 人生は長くて苦しいものだということを諭した言葉といえましょう。

 ところで、この言葉――

(なんで「重荷」なんだろう?)
 と以前から思っておりまして――

「遠き道」は、わかります。

 人生は短くも儚いものですが――

 とはいえ――
 十分に健康でいられれば、何十年と続くのが人生ですから――

 少なくとも日常生活の時間単位に照らせば――
 たしかに「遠き道を行くが如し」とみなせましょう。

 問題は――
 なぜ「重荷を負うて」とみなすべきなのか――

 別に、「重荷を負うて」をなくし、「人の一生は遠き道を行くが如し」としても――
 よさそうなものですよね。

 すき好んで「重荷」を背負う必要はない――

 ……

 ……

 で――
 きのう――

 一人、新幹線に乗って夜の車窓を眺めていたら――
 ふと、その理由に思い当たりまして――

(なるほど……! 「重荷」というのは、例えば、家庭のこととか職場のこととかなのか)
 と――

 本当に突然――
 何の前触れもなく、思い当たったのです。

 徳川家康の時代には――
 もちろん、「家庭」という言葉も、「職場」という言葉もなかったでしょう。

 が、当時も――
 人は、結婚をし、子を成し、子を育てていて――
 そのために、何らかの仕事に携わり続け、生計を立てていたわけですよね。

 おそらく、自分一人が生きていくためには――
 そんなことは必要なかったはずです。

 別に仕事をしなくても――
 物乞いなどをしていれば、何とかなったかもしれない――

 が――
 ひとたび結婚をし、子を成し、子を育てていこうと思えば――
 そうはいかない――

 何らかの仕事に携わり続け、生計を立てていないといけない――

 つまり――
「重荷を負う」を拒んで先に進むということは――
 子を置いて逃げ出すことを意味していたように思うのです。

 もちろん――
 子だけではなくて――
 妻や夫、あるいは、年老いた父母や身寄りのない兄弟姉妹ら家族全員のことを含んでいたでしょう。

(そりゃあ、たしかに「重荷」だ)
 と――
 妙にスッキリと納得ができました。