今から20年くらい前――
僕が、まだ大学生だった頃――
当時、中堅どころであった医学者・科学者の人たちから、しばしば忠告されたことは、
――若いうちは、「何になりたいか」ではなく、「何をなしたいか」について、ぜひ考えてほしい。
というものでした。
20歳そこらだった僕は、
(そりゃ、そうだろう)
と、比較的すぐに納得できたのですが――
では――
なぜ、「何になりたいか」ではなく、「何をなしたいか」なのか――
その理由の深いところには――
まったく気づいておりませんでした。
が――
けさになって、ふと気づきまして――
曰く、
(つぶしが効くからか)
と――
例えば、
――旅客機のパイロットになりたい。
と思って必死で努力を重ねた結果――
結局、パイロットになれなかった時に――
が――
同じパイロットを目指すにしても、
――空の旅に関わる仕事がしたい。
と思って必死で努力を重ねた結果――
結局、パイロットになれなかった時に――
それまでの「空の旅に関わる」という目標は、未だ十分に達成可能なのですよね。
だって――
パイロット以外の職種を目指せばよいのですから――もしも本当に空の旅に関わりたいのなら――
よって、
――「何になりたいか」じゃなく、「何をなしたいか」だ。
となるのですね。
そのような忠告を――
口を酸っぱくしておっしゃっていた方――
あるいは――
淡々と微笑んでおっしゃっていた方――
実に様々でしたが――
それら方々全員に共通していたことは――
たぶん、
――何かの目標を達成できずに自暴自棄になるようなことだけは何としても避けてほしい。
という親心だったでしょう。
――だったら、そのようにハッキリいってくれ!
と――
当時、大学生であった僕などは、絶対に息巻いていたと思うのですが――(苦笑
それは――
無理なのですね。
中堅どころの医学者や科学者が、若い大学生に向かって、
――つぶしが効くから……。
という消極的な理由を明示することは――
どうしても躊躇されます。
それが人情というものです。