小学生の頃――
歴史の授業で、
――戦争は経済を活性化する。
と教わりました。
例えば――
1950年代の日本経済は、朝鮮戦争によって、著しく活性化された、と――
戦争では、武器や食糧その他、多くの物資が消費されます。
また、建物や機関、道路その他、多くの設備が破壊されます。
これら消費を補い、破壊を繕うために――
新たに資本が投入され、物資や設備が作り直され、経済は活性化する――
そう理解してきました。
が――
こうした見方は、一見、合理的であって、実は合理的ではない――
との指摘があるようです。
すなわち、
――たしかに、戦争によって、経済は、少なくとも短期的には活性化される。が、戦争によって失われた物資や設備の作り直しにまわされる資本は、戦争がなければ、もっと別のことに回されていたはずの資本である――もっと人々を幸福にしていたはずのことに――
そういう指摘です。
つまり、
――長期的にみれば、資本が、消費や破壊が繰り返される戦争に回されるよりも人々を幸福にする発明や建設に回されるほうが、より経済を活性化するのは、明らかである。
ということですね。
(たしかに、そうだな~)
と感じました。
子どもの頃に教わったことを――
いつまでも無批判に受け入れて覚えておくのは、決してよいことではないですね。
が――
そうはいっても、やはり――
戦争が経済を活性化するという命題が、今日まで広く受け入れられてきた事実は――
そう簡単には揺るがないと思うのです。
なぜ、「戦争は経済を活性化する」は多くの人たちに信じられてきたのか――
……
……
僕が直感したのは――
(消費や破壊を繰り返す戦争に資本を回すことは、人々を幸福にする発明や建設に資本を回すことよりも、格段に易しいからではないか)
ということです。
人は、いきなり、
――戦争だ!
といわれれば、とりあえず大金を払う気になりますが――払える人は――
――人々を幸福にするために――
といわれたのでは、なかなか払う気になれない――
それが、人情ではないか、と――
言い換えるなら――
人は、短期的な目的の達成のために大金を払うことは厭わないが、長期的な目的の達成のために大金を払うことには躊躇する、と――
……
……
戦争は、たぶん経済を活性化するのでしょう。
が――
それは、あくまでも短期的な活性化であって、長期的な活性化ではない――
そういうことであろうと思います。