マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

世間の人たちが「ぎょ!」っとするような行動に出たとしても

 世間の人たちが、一瞬、

 ――ぎょ!

 とするような行動に出て――
 その結果、実際に、

 ――あの人、ちょっとおかしいんじゃないか。

 とか、

 ――なるべく関わらないようにしよう。

 などと思われてしまったとしても――

 その世間の人たちが「ぎょ!」とした行動が――
 たしかに自分自身の考えに基づく行動であったのなら――

 そのあと――
 とくに問題にならなかったりするようなことが――
 時々あるようです。

 なぜかといえば――

 その世間の人たちが「ぎょ!」とした行動を、自分は、なぜ実行に移したのか――
 その理由を自分自身の言葉で明瞭に説明できるからです。

 もし誰かの入れ知恵であったのなら、そうはいきませんよね。
 少なくとも、自分自身の言葉で明瞭に説明することは難しい――どうしても説明にウソや淀みが混じってしまう――

 そうなれば――
 世間の人たちは、容易には許してくれません。

 ――やっぱりね。

 と思うものです――「あの人、ちょっとおかしいんじゃないか」とか、「なるべく関わらないようにしよう」などなど――

 ですから――
 どんな行動であったとしても――
 必ず自分自身でしっかりと考えた上で実行に移したいものですね。