マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

同じ“狭い世界”であっても

 小説やドキュメンタリーでは、狭い世界を描くと成功しやすいといわれています。
 そのほうが、迫力のある物語やリアルなレポートになりやすいと考えられるからです。

 が――
 同じ“狭い世界”であっても――
 誰もが知っている“狭い世界”と――
 誰もが知らない“狭い世界”とがあって――

 これら2つの“狭い世界”では――
 その意味合いや受けとられ方が、まるで違います。

 誰もが知っている“狭い世界”であれば――
 その世界がどこにあって、どんな人々が暮らしているのか、すでに多くの人たちによって想像されています。

 よって――
 そういう世界を、小説やドキュメンタリーで描こうとする場合には――
 それら既成の想像を、上手に活かして描くか上手に裏切って描くしかありません。

 活かすも裏切るも、紙一重の差で失敗しますから――
 けっこう慎重に描かざるをえません。

 そういう世界の一つに――
 例えば、心臓外科の学界や医療業界があります。

 一方――
 誰もが知らない“狭い世界”であれば――
 そんな世界があることすら知られていなくて、当然、そこでどんな人々が暮らしているかも、ほとんど知られていません。

 よって――
 そういう世界を、例えば、小説やドキュメンタリーで描こうとする場合には――
 とにかく、その世界をわかりやすく描けばよい――どう描くかは、徹頭徹尾、描き手の自由です。

 どう伝えれば効果的に伝わるかということだけを考えればよいので――
 かなり大胆に描けます。

 そういう世界の一つに――
 例えば、医師国家試験の受験業界や受験雑誌出版界があります。

 どちらも“狭い世界”ですが――
 描き手が注意すべき点は、まったく違います。