ネットでの個人の発信が当たり前の世の中になり始めた頃から、
――最近、書く力のある人は増えたが、読む力のある人は減った。
という話をチラホラきくようになりました。
そうした状況に――
今日では、さらに拍車がかかり、
――自分の読む力に見合った本を選べる人が減った。
のだそうです。
例えば、書店で――
店員を呼びとめ、
「私にも読めそうな本を教えて下さい」
という客が増えてきているのだそうです。
おそらく――
自分の読む力を自分で適切に評価できない人が増えてきている――
ということでしょう。
その背景には――
読む力は、書く力と違って、評価が大変に難しい――あえていえば、煩わしい――ということが挙げられます。
なぜ煩わしいのか――
自分に書く力があるかどうかをみるには、とりあえず書けるかどうかをみればよいのですね。
そして――
その書けたものを誰かに読んでもらい、その反応をみればよい――
これに対し――
読む力があるかどうかは、とりあえず読めるかどうかをみただけでは、わかりません。
自分が書き手の意図を正しく把握できているかどうかを、誰か第三者とのコミュニケーションを通して多少なりとも客観的に判断する必要があります。
つまり――
書く力の自己評価には、書く自分と自分の書いたものを読む他者との2点関係を分析すれば、こと足りますが――
読む力の自己評価には、読む自分と自分の読むものを書いた他者と自分の読んだものと同じものを読む他者との3点関係を分析しなければなりません。
2点関係と3点関係とでは、複雑さが格段に増します。
2点関係では、関係性は基本的に1種類ですが――
3点関係では、関係性は少なくとも3種類です。
もう少し詳しくみてみましょう。
いま、2点をA、Bとすれば――
関係性は、
A―B
だけです。
ところが――
3点をA、B、Cとすれば――
関係性は、少なくとも、
A―B
B―C
C―A
の3つです。
さらに――
状況によっては、
A―B―C
B―C―A
C―A―B
や、
A―B―C―A
B―C―A―B
C―A―B―C
の関係性も無視はできません(「A―B―C―A」などは、本来は巴図として描くべきものです――念のため――)
読む力の自己評価が煩わしくなるのは――
こうした事情によります。
こうした問題を認識し――
皆が自分の読む力を少しでも正しく自己評価できるようになるには、どうしたらよいか――
答えは簡単で――
有志の集まりのような読書会が、あちこちで自然発生するような世の中に変えていけばよいのですが――
さて――
具体的には、どうしたらよいのでしょうか。
いま、「変えていけばよい」と述べましたが――
実際には、「戻していけばよい」とすべきでしょう。
ネットの端末が今日のように普及する以前の世の中であれば――
そうした読書会は、たぶん、あちこちで自然発生していました。
時計の針を逆に戻すようなことが、はたして可能なのかどうか――そして、妥当なのかどうか――
いまは結論を出せずにいます。