損害を恐れることが格好悪いという風潮が――
もし、あるとしたら――
残念なことだと思っています。
もちろん――
損害のなかには、恐れるに足らない損害もあって――
そういう損害を恐れるのは、たしかに愚かなことで、格好悪いことだろうと思います。
が――
恐れなければならない損害というものは――
たしかに存在します。
そのことを――
僕らは、日頃から、十分に強く意識しておく必要があるでしょう。
損害には少なくとも3つあるといえます。
利益を獲得し損ねる損害――
再起が十分に可能な損害――
再起不能に追い込まれる損害――
の3つです。
このうち、恐れるに足らない損害とは、“利益を獲得し損ねる損害”です。
この損害は、厳密には、損害ではありません。
いま――
巧くやれば100万円が手に入るけれども、巧くできなければ何も手に入らない――
という状況を想定しましょう。
このとき――
もし何も手に入らなければ――
人は、つい、
――100万円の損をした!
と感じてしまいがちなのですが――
実際には、100万円を獲得し損ねているだけであって、100万円を喪失しているわけではありません。
いわば“幻の100万円”を喪失していることになります。
では――
ほかの2つの損害は、どうでしょうか。
“再起が十分に可能な損害”については――
巧くやれば100万円が手に入るけれども、巧くできなければ100万円を奪われる――
という状況を想定すればわかりやすいでしょう。
奪われるのは、場合によっては、10万円かもしれないし、1000万円かもしれない――
要は、それだけの金額を奪われても、あとで何とか再起できるような金額――ということです。
破産宣告を受けるのが平気な人なら――
おそらく、どんなに多額の損害でも大丈夫です。
では――
“再起不能に追い込まれる損害”は、どうでしょうか。
それは――
巧くやれば100万円が手に入るけれども、巧くできなければ誰かの命を奪われる――あるいは、後遺症を負って身体機能の一部を奪われる――
という状況です。
この状況では――
奪われるのは、金銭ではありません――金銭では決して購(あがな)えないものです。
人が真に恐れるべきは――
この“再起不能に追い込まれる損害”です。
この損害を適切に恐れている人が、
――格好悪い。
と揶揄される風潮は――
残念なことというだけでなく――
大変に危険なことだと思っています。
その最も典型的かつ衝撃的な具体例を――
僕らは、昭和前期の歴史にみることができます。
太平洋戦争(大東亜戦争)前夜――
石油の獲得を求めて南方へ進出することを決定した軍や政府をみて、
――石油が欲しくて米英に戦争をしかける奴があるか!
と嘆いた元高級参謀がいたそうですが――
この元軍人は、“再起不能に追い込まれる損害”を適切に恐れていたにすぎません。
ところが――
当時の軍や政府の首脳らは、“利益を獲得し損ねる損害”ないし“再起が十分に可能な損害”を恐れていると捉えていたでしょう。
つまり、この元軍人のことを、
――ひどく格好悪い。
と捉えていた――
こういう風潮は――
昭和前期に限ったことではなくて――
平成の今の世の中にも十分に色濃く残っています。
つい先ほども、ネットのCMで、
――やりたいことは、やってしまえ。
とか、
――やりたいことをやる人生は面白い。
とかいったキャッチコピーを目にしました。
(おいおい……、そんなこといってて本当に大丈夫か?)
と、本気で心配をしております。
もちろん――
杞憂であることを祈ってもおりますが……。