マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

その「がんばっている」は不遜でないか

 それをやめたら死ぬしかない――
 あるいは――
 生きているのをやめるしかない――

 そういうことが――
 人には、あります。

 自分自身の病気や怪我と向き合うこと――
 あるいは――
 迫り来る災害や戦禍から逃れること――
 などが典型です。

 そういうことをやめないで懸命に続けている人に対して、

 ――がんばってるね。

 とか、

 ――がんばってますね。

 と声をかけることに――
 僕は、ためらいを感じます。

 生きていくために他にどうしようもなくて――
 ただひたすらに何かを続けている様子を、

 ――がんばっている。

 と言い表すのは――
 何か変だと思うのです。

 では、どう言い表すべきなのか――

 それが、わからずにいます。

 おそらく――
 適切な言い表し方は存在しないのでしょう。

 そうした様子をどうにか言い表そうとすること自体に、たぶん無理があるのです。

 ひとたび、どうにか言い表してしまうと――
 それは、そのまま何らかの評価を下したことになってしまうので――

 言い表すとは、そうしたことです。

 もちろん、「がんばっている」と言い表すことも――
 例外ではありません。

 ……

 ……

 もう少し端的にいうならば――

 生きていくために他にどうしようもなくて――
 ただひたすらに何かを続けている様子に――
 何らかの評価を下すことは――
 多かれ少なかれ、

 ――不遜

 ではないか――
 ということです。

 もし、そんな様子の人を見かけたら――
 僕らは、少し離れた場所から、ただ黙って見守っているより仕方がないのではないか――
 いつまでも、いつまでも――

 そんなふうに思います。