マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

理屈っぽい人の頭は柔らかい

 ――理屈っぽい人の頭は固い。

 と、一般には考えられていますよね。

 が――
 僕は――
 理屈っぽい人の頭は、むしろ柔らかい――
 と考えています。

 頭が固いのは、感情的な人のほうである、と――

 なぜ理屈っぽい人の頭は柔らかく、感情的な人の頭は固いのか――

 理屈は他者と共有することが容易です。

 よって――
 理屈っぽい人どうしでは、互いの考えや思いを自在にすりあわせることができます。

 が――
 感情は他者と共有することが困難ですから――
 感情的な人どうしでは、互いの考えや思いをなかなかすりあわせることができません。

 では――
 理屈っぽい人と感情的な人とでは、どうでしょうか。

 理屈っぽい人が、感情的な人と向き合うと――
 得意の理屈を駆使し、どうにかして互いの考えや思いをすりあわせようとします。

 が――
 感情的な人には、その理屈っぽい人の「どうにかして…」の思いがわかりません。

「どうにかして…」は、あくまでも感情であって、理屈ではないからです――
 感情を共有することというのは、常に至難の業なのですよね。

 よって――
 結局は、感情的な人どうしのやりとりと同じように噛み合わなくなる――

 つまり――
 理屈っぽい人と感情的な人とでも、感情的な人どうしと同じように、互いの考えや思いをすりあわせることはできないのです。

 そうした原理を熟知している人で、理屈っぽい人は――
 感情的な人に向き合うと――
 互いの考えや思いをすりあわせることは、初めから諦めます。

 目の前の相手は、到底わかりあえない相手と覚悟を決める――

 理屈に則れば、たしかに、そうやって諦めて覚悟を決めるのが、いちばん賢明です。

 ところが――
 そうした諦めや覚悟こそ、感情的な人にとっては、

 ――固い!

 と感じられるものなのですね。

 このようなメカニズムによって、

 ――理屈っぽい人の頭は固い。

 という観念が成立します。

 つまり――
 本当に固いのは、「理屈っぽい人の頭は固い」と信じ込んでいる感情的な人の頭のほうである――
 ということですね。