――理屈っぽい人の頭は固い。
と、一般には考えられていますよね。
が――
僕は――
理屈っぽい人の頭は、むしろ柔らかい――
と考えています。
頭が固いのは、感情的な人のほうである、と――
なぜ理屈っぽい人の頭は柔らかく、感情的な人の頭は固いのか――
理屈は他者と共有することが容易です。
よって――
理屈っぽい人どうしでは、互いの考えや思いを自在にすりあわせることができます。
が――
感情は他者と共有することが困難ですから――
感情的な人どうしでは、互いの考えや思いをなかなかすりあわせることができません。
では――
理屈っぽい人と感情的な人とでは、どうでしょうか。
理屈っぽい人が、感情的な人と向き合うと――
得意の理屈を駆使し、どうにかして互いの考えや思いをすりあわせようとします。
が――
感情的な人には、その理屈っぽい人の「どうにかして…」の思いがわかりません。
「どうにかして…」は、あくまでも感情であって、理屈ではないからです――
感情を共有することというのは、常に至難の業なのですよね。
よって――
結局は、感情的な人どうしのやりとりと同じように噛み合わなくなる――
つまり――
理屈っぽい人と感情的な人とでも、感情的な人どうしと同じように、互いの考えや思いをすりあわせることはできないのです。
そうした原理を熟知している人で、理屈っぽい人は――
感情的な人に向き合うと――
互いの考えや思いをすりあわせることは、初めから諦めます。
目の前の相手は、到底わかりあえない相手と覚悟を決める――
理屈に則れば、たしかに、そうやって諦めて覚悟を決めるのが、いちばん賢明です。
ところが――
そうした諦めや覚悟こそ、感情的な人にとっては、
――固い!
と感じられるものなのですね。
このようなメカニズムによって、
――理屈っぽい人の頭は固い。
という観念が成立します。
つまり――
本当に固いのは、「理屈っぽい人の頭は固い」と信じ込んでいる感情的な人の頭のほうである――
ということですね。