マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“ベール”は薄いより厚いほうが

 CMやバラエティ番組などで活躍される女優さんが多いので――
 うっかり忘れてしまいそうになりますが――

 女優さんは――
 常に、

 ――ベールの陰

 なのですよね。

 僕らの前に出てくるときには、必ず、何らかの役柄を演じている――

 その様子を、いくら細かにみたところで――
 その女優さんの素の様子は、決してわからない――

 そのような意味で――
 女優さんは、いつもベールをかぶっています。

 もちろん――
 同じことは男の俳優さんにもいえるのですが――

 まあ――
 たぶん僕が男だからでしょう――

 どうしても気になるのは――
 女優さんのほうです。

 TVドラマや映画などで、すっかり見慣れている女優さんであっても――
 そのベールの向こう側は皆目見当もつかない――

(普段は、どんな口調で話してるんだろう?)
 とか、
(普段は、どんな表情を見せてるんだろう?)
 とか――

 仮に、まったく普段どおりの口調や表情であっても――
 それを“芝居”と銘打ってみせている限りは――
“普段どおり”ということが、決してわからない――

 わからないからこその魅力というのが間違いなくあって――
 それが、女優さんの存在に深みをもたらしていると思うのです。

 ですから、
(女優さんは、CMやバラエティ番組には、あんまり出ないほうがいいのに……)
 などと思っているのですが――

 よく考えてみたら――
 女優さんなら、CMやバラエティ番組に出るときにも、何らかの役柄を演じているに違いないわけで――

(だったら、同じことか……)
 と思い直して――
 以後、「女優はCMやバラエティ番組に出るべきではない」との主張を引っ込めたことがあります。

 ……

 ……

 まあ――
 それでも――

 何か釈然としないものが残ったので――

 後日――
 ふと、
(何が釈然としなかったんだろ?)
 と――
 ちょっと考え直してみたところ――

(たぶん“ベール”が薄いからだ)
 との結論に達しました。

 どういうことか――

 TVドラマや映画の演出よりも、CMやバラエティ番組の演出のほうが、緩やかだということです。

 その分――
 女優さん本人の判断や意図が活かされやすいはず――
 つまり、より素の様子を想像させやすい――
 つまり、“ベール”が薄い――

 そういう理屈が成り立ちうることに気づいた――
 ということです。

“ベール”は薄いよりも厚いほうが――
 その陰への興味をかきたてますよね。