マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

美女の女優が醜女を演じることはできるのか

 ――美女の女優が醜女を演じることはできるのか。

 ということについて――
 いま考えています。

「美女」というのは――
 誰がみても「美しい」と感じるであろう女性のことです。

「醜女」というのは――
 誰がみても「醜い」と感じるであろう女性のことです。

 もちろん、「美しい」も「醜い」も、個人の主観ですから――
 多くの人が「美女」と思うような女優であっても、その人を「醜女」と思う人はいるでしょうが――
 そういう主観・客観問題の困難性や、個人の嗜好の多様性については、勘案しません。

 また、「美女」が特殊メイクを使って「醜女」に化けるようなことも、勘案しません。

 要するに――

 世の中のほとんどの人たちによって「美女」と認識されるであろう女優が――
 それらほとんどの人たちを鑑賞者として演技をする場合に、「醜女」を演じることができるのか――
 ということです。

 皆さんは、いかが思われますか。

 ……

 ……

 僕は、できないんじゃないかと思っています――ある条件を満たさない限りは――

 その条件とは、

 ――鑑賞者も演技をする。

 という条件です。

 つまり、鑑賞者も「美女」の女優を「醜女」とみなして鑑賞をする――
 そのような芝居でない限りは、「美女」の女優が「醜女」を演じることはできないであろう、と――

 人の主観にとって、美しいものは、あくまでも美しいのです。

 それを「醜い」と感じようとするには――
 多少なりとも企図を意識することが必要です。

 目の前の「美女」を「醜女」とみなすのに、無意識では無理でしょう。

 なお――
 以上の議論は、「美女」を「美男」に、「女優」を「男優」に、「醜女」を「醜男」に置き換えても成り立ちます。

 あるいは、「美女」と「醜女」とを入れ換えても成り立ちますね。