自然科学系の議論と社会科学系ないし人文科学系の議論とを比較する場合に――
いつも脳裏をよぎるのは、
――人事を尽くして、天命を待つ。
という故事成語です。
これは、
――人は、何か事にあたるときには、まずは自分にできることを全て行い尽し、その上で最終的な成否を運・不運に委ねるしかないものだ。
といった心境を手短に述べたものです。
次のような言葉が出てきます。
――事を計るは人にあり、事を成すは天にあり。
ニュアンスは違いますが――
意味するところは、「人事を尽くして、天命を待つ」と、ほぼ同じでしょう。
自然科学系の議論では――
常に「天命を待つ」や「事を成すは天にあり」の部分に力点が置かれます。
一方――
社会科学系ないし人文科学系の議論では――
常に「人事を尽くして」や「事を計るは人にあり」の部分に力点が置かれます。
自然科学に興味をもっている人と社会科学や人文科学に興味をもっている人との間では――
しばしば、議論が噛み合わないものですが――
その理由を端的に説明するのには、「人事を尽くして、天命を待つ」や「事を計るは人にあり、事を成すは天にあり」といった言葉が――
かなり有効でしょう。
いかに天命が下るかに関心がある人と、いかに人事を尽くすかに関心がある人とでは――
話が噛み合うわけはないのです。
いかに天命が下るかに関心がある人は、いかに人事を尽くすかに関心がある人を、
――傲慢だ。
と捉えます。
いかに人事を尽くすかに関心がある人は、いかに天命が下るかに関心がある人を、
――怠慢だ。
と捉えます。
最悪の噛み合わせです。
いかに事が成るかに関心がある人と、いかに事を計るかに関心がある人との間でも――
顛末は同じです。