きょうも、おカネの話を――
*
僕は、
――貨幣とは、裁量や権限である。
と考えています。
しばしば、
――貨幣とは、信用である。
といわれますが――
きのうの『道草日記』でも述べたように――
信用は目に見えないもので、かつ、心で感じるものです。
一方、貨幣は目で見え、心では感じられない――
裁量や権限は、明文化され、記号化されうるという意味では、目に見えます。
そして、何より、心で感じるものではありません。
裁量や権限が信用よりも貨幣になじむのは、明らかでしょう。
もちろん――
裁量や権限は、多少なりとも信用があるから、付与されるものであり――
その意味では、「貨幣とは、信用である」は、間違いではありません。
が――
信用がなくても――
裁量や権限が付与されることは、いくらでもありえます。
その裁量や権限が不特定であり、かつ、一定の範囲内に限られている場合です。
どういうことか――
……
……
冒頭、「貨幣とは、裁量や権限である」と述べましたが――
厳密には――
次のように述べるべきでしょう。
――貨幣とは、不特定の裁量や権限が国家によって数値化されたものである。
と――
「数値化されたもの」というのは、説明は不要でしょう。
貨幣は数値です。
数値でない貨幣というのは、ちょっと考えられません。
ただし――
この「数値」がもたらす利点が重要です。
それは、一定の範囲内に限られやすくなる、という利点です。
貨幣は、数値であるがゆえに、無限性や曖昧性から自由です。
では――
「不特定」とは、どういうことか――
……
……
先週の火曜日の『道草日記』で――
組織における人事の鉄則に触れました。
――徳には官を、功には賞を。
という鉄則です。
――人徳のある者には役職で報い、功績のある者には金銭で報いるのがよい。
という意味です。
この場合の「役職」が、特定の裁量や権限にあたります。
裁量や権限ですから、通常、明文化ないし記号化はされています。
ただし、数値化はされていません。
一方、「金銭」とは、ずばり貨幣のことです。
貨幣ですから、数値化されています。
ただし、明文化も記号化もされていません。
実は、明文化も記号化も、やりようがないのです。
しばしば、
――カネに色はない。
などといわれますが――
この言葉は、貨幣の不特定性を如実に物語っています。
何に使おうが、貨幣は貨幣です。
貨幣に使用目的を書き込まない限り――
その使用目的を誰かが明文化したり記号化したりすることはできません。
すなわち、「人徳のある者には役職で報い、功績のある者には金銭で報いるのがよい」というのは――
金銭(貨幣)が不特定の裁量や権限を付与するからこそ――
成り立ちうる鉄則なのです。
特定の裁量や権限は、特定であるがゆえに、代替がきかず――
それゆえに組織における影響力は絶大です。
よって、特定の裁量や権限は、人徳のあるものに付与する必要がある――
一方――
不特定の裁量や権限は、いくらでも代替がきき、しかも数値化されていれば、一定の範囲内に限りやすい――
よって、人徳の有無にかかわらず、功績の有無のみに着眼して付与できる――
貨幣の「不特定」とは、そのような意味です。