マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

10進法をめぐる議論

 僕らが過度に慣れ親しんでいる定義の例に、

 ――10進法

 があります。

「10進法」とは――
 全ての数を「0」から「9」までの10種類の数字で表そうとする約束事のことです。

 こうした“数の約束事”は、決して10進法だけではなくて――
 例えば、2進法や12進法、60進法など、時と場合とに応じて様々な“数の約束事”が使われます。

 2進法では「0」と「1」との2種類の数字で――
 全ての数を――

 12進法では「0」から「9」までの10種類の数字の他に、さらに2種類の数字を追加した12種類の数字で――
 全ての数を――

 60進法では「0」から「9」までの10種類の数字の他に、さらに50種類の数字を追加した60種類の数字で――
 全ての数を――

 それぞれ表そうとします。

 このように――

“数の約束事”が幾つも幾つも存在しうることを踏まえた上で、

 ――我々人類は、はたして今後も末永く10進法を使い続けていくべきなのか。

 といった問題提起がなされています。

 ――10進法は12進法より洗練されていない。10は2では割れるが3では割れない。12は2でも3でも割れる。10より約数の多い12を基本とする約束事のほうが、何かと便利である。

 とか、

 ――我々人類にとっては、10進法こそが一番しっくりくる約束事だ。10進法は、おそらくは人間の指が左右合計10本であることに由来している。10進法を使い続けるほうが我々人類には自然である。

 とか――

 ……

 ……

 ここで一つ注意しなければならないことがあります。

 それは――
 ここまでに僕が言及してきた数「10」「12」「50」「60」は、全て10進法で表されている――
 ということです。

 10進法を使い続けるべきかどうかの議論でも、ついうっかり10進法を使い続けてしまう――

 それくらい――
 10進法は、僕らが過度に慣れ親しんでいる約束事である――
 ということなのですね。

 このことを強く意識しているか、していないかによって――
 少なくとも10進法をめぐる議論の方向や展開が、ずいぶんと変わってくるであろうことは――

 容易に想像されます。