マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

フルーツ・フォンデュからチョコレートを取り出して

 優れたチョコレート製造者を称えるチョコレート賞というのがあって――

 その選考委員会が――
 あるとき、

 ――フルーツ・フォンデュに用いるチョコレート・ソースを巧みに開発したパティシエにチョコレート賞が授与される。

 と発表したところ、

 ――フルーツ・フォンデュのチョコレート・ソースは、チョコレートなのか。

 という疑義が上がり――
 選考委員会は、

 ――チョコレートは古来、飲み物であり、フルーツを食べるときにも飲まれていた。

 といった趣旨の説明をした――

 そんな感じの違和感を覚えました。

 何の話か――

 ……

 ……

 ノーベル文学賞の話です。

 ノーベル賞の選考にあたっているスウェーデン・アカデミーは――
 先週――
 今年のノーベル文学賞は音楽家ボブ・ディランさんに授与される、と――
 発表しました。

 受賞理由は、

 ――ポピュラー音楽の枠組みの中で、優れた詩的創作を行ってきた。

 というものでした。

 当然、

 ――ポピュラー音楽の歌詞は、文芸なのか。

 という疑義が上がり――
 それに対し、スウェーデン・アカデミーは、古典の韻文などを念頭に、

 ――文芸は古来、旋律を伴い、音楽として聴かれることもあった。

 といった趣旨の説明をしました。

 ……

 ……

 たしかに、その通りなのでしょうが――

 ……

 ……

 ポピュラー音楽の歌詞は文芸であると、割り切ってよいものでしょうか。

 フルーツ・フォンデュのチョコレート・ソースはチョコレートである、というように――

 ……

 ……

 フルーツ・フォンデュは、フルーツの風味とチョコレートの風味とが調和しているからこそ――
 美味なのであって――

 フルーツ・フォンデュからチョコレートを取り出して、フルーツを捨て去ることに――
 いったい、どれほどの意味があるといえるでしょうか。

 たしかに、チョコレートは古来、飲み物であり――
 それをフルーツにかけて食べた人はいたかもしれないとは思いますが――

 ……

 ……

 今回――
 スウェーデン・アカデミーが文芸の定義の拡張を試みたことには、一定の新鮮さを覚えます。

 が――
 文芸の定義の拡張に関心が向かうあまり――
 音楽の存在意義をうっかり無視してしまったようにも感じられます。