マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「小異を捨てて大同につく」の危険

 ――小異を捨てて大同につく。

 という言葉がありますね。

 ――小さな相違点は無視をして、大きな一致点で合意をする。

 くらいの意味です。

 政治の場などで何か現実的な判断を迫られたときには――
 ぜひとも必要とされる発想でしょう。

 が――

 この発想――
 危険な面もあります。

 というのは――

 何をもって「小異」とし、何をもって「大同」とするかで――
 その“合意”の様相が変わってくるからです。

 自分たちが「大同」と思ったものを、世間が「小同」と思っていたり――
 自分たちが「小異」と思ったものを、世間が「大異」と思っていたりすれば――

 その“合意”は、

 ――単なる付和雷同

 あるいは、よくて、

 ――呉越同舟

 ということになります。

 そして――
 そういう解離は――
 人の社会では、しばしば起こりえます。

“異”や“同”の定性判断はともかく、“大”や“小”の定量判断は――
 どうしても個人の主観に頼りがちだからです。

 ……

 ……

 ――ここは、ひとつ、小異を捨てて大同につこうか。

 と考えているようなときには――
 要注意です。