人の世の根深い対立は――
これを――
虚構の世界で扱う分には、いくらでも有効な素材となりえますが――
現実の世界で扱う分には、ちょっと危険な問題となりえます。
虚構の世界であれば――
対立は、いくら酷くなってもよいのですよ。
たとえ、どんなに惨たらしい流血騒動になったところで――
何の問題もない――虚構だからです。
が――
現実の世界であれば――
そうはいかない――
対立は、あまり酷くならないほうがよい――
とくに、その対立を自分で扱うのなら――つまり、その対立に多少なりとも介入をするのなら――なおさらです――
自分の方へ、間違いなく、トバッチリがきますので――
現実の世界において――
人の世の根深い対立に介入をする場合には――
自分の身を守るためにも――
その対立の収束を、念頭のどこかに置いておく必要があります。
双方の立場を十分に尊重し――
双方の中間領域に何らかの創造的な妥結点を見出し――
そこを足がかりに、互いの融和を弁証法的に図っていく――
具体的には――
……
……
例えば――
消臭剤と発酵食品との生産者対立をテーマに小説を書く――
この場合であれば、その生産者対立をどんどん煽っていけばよい――
きっと、どこかおかしみのあるユーモア小説に仕上げることができるでしょう。
が――
消臭剤と発酵食品との利害相反をテーマに広告を出す――
この場合であれば、その利害相反を誇張する表現は賢明ではありません。
消臭剤にとっても発酵食品にとっても利益となるような妥結点を見出し――
そこに基軸を据えた表現が賢明です。
――おいしい発酵食品を楽しんだ後は、強力な消臭剤でお部屋の臭いをスッキリと!
といったアイディアは――
まさに秀逸です。