マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

自然への冒涜は

 自然への冒涜は――
 たいていの場合、

 ――作為の不自然

 が起点となっています。

 ……

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「作為の不自然」とは―

 あえて不自然なものを作り出したり、あるいは、あえて不自然なことを引き起こしたりして――
 それら事物の不自然さに何らかの意義を見出そうとする意図のことです。

 そのような“作為の不自然”は――
 虚構の世界では――
 比較的、容易に実行できてしまいます。

 例えば――
 コンピュータ画面の中で――
 類人猿が頭部と左上肢とを使って地べたを歩こうとしたり――
 夜空にかかる三日月が急に落ちて地平線に突き刺さったり――

 ……

 ……

 虚構の世界には現実の制約がありませんから――
 何をどうするのも、まったくの自由です。

 それゆえに――
 人としての品性が滲み出やすいのですね。

 ふだんから自然への畏敬が希薄な人は――
 こうした“作為の不自然”を契機として――
 それと意識することなく――
 ついうっかり自然を冒涜してしまうのです。