マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「当然」は「自然」や「天然」とは違う

 ――自然

 や、

 ――天然

 と似てはいるけれども――
 意味は違う言葉に、

 ――当然

 があります。

 ――道徳的ないし論理的に考えたら、誰が考えても同じ結論になる様子

 をいいます。

 ……

 ……

 「当然」は――
 「自然」や「天然」とは明らかに異質の言葉です。

 その異質性は――
 今月3日の『道草日記』で導入した、

 ――恣意

 の概念で説明がつきます。

 つまり――
 「自然」も「天然」も、

 ――恣意が及ばない事物

 である一方――
 「当然」は、

 ――「あえて恣意を及ぼさない」との恣意が及ぶ事物

 であるのです。

 道徳的ないし論理的に考えたら、恣意を及ぼす余地がない――
 よって、あえて恣意を及ぼすことはしない――

 そのような恣意の及んでいる事物が、

 ――当然

 です。

 「自然」や「天然」との違いは、

 ――恣意が及ばない

 のではなく、

 ――「あえて恣意を及ぼさない」との恣意が明確に及んでいる

 という点です。

 あえて恣意を及ぼそうと思えば、及ぼすことはできるのだけれども――
 道徳的に考えたり、論理的に考えたりしたら、とても恣意は及ぼせない――
 その判断の帰結が、

 ――当然

 です。

 例えば、

 ――自分で壊したのだから、弁償をするのは当然だ。

 というときには――
 あえて「弁償はしない」と言い張ることもできるのですね。

 が――
 それをしない――

 また、

 ――誤った使い方をしたのだから、壊れるのは当然だ。

 というときには――
 あえて「誤った使い方とは関係なく壊れた」と言い張ることもできるのですね。

 が――
 それをしない――

 そういうことです。

 ……

 ……

 よって、

 ――当然

 は、一見、

 ――自然

 のようにみえますが――
 実際には、

 ――不自然

 なのです。