マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

安楽椅子探偵の推理小説には泣きどころがある

 安楽椅子探偵(armchair detective)の推理小説には泣きどころがあります。

 

 それは――

 主人公の探偵が事件の現場に赴くことは決してない――設定上、赴けない――というところです。

 

 事件の現場に赴かないのに、なぜか事件を解決に導く――

 その不自然さが物語の面白さの核心であることは間違いありませんが――

 それは、それとして――

 その不自然さゆえに、何となく、

 ――うさん臭い

 という印象を与えてしまいかねないのですね。

 

 もちろん――

 そのような探偵が現実の世界に実在をしていれば、

 ――なんでわかったの?

 と驚かれ、

 ――すごい!

 と称えられるでしょう。

 

 が――

 実際には、虚構の探偵であるわけで――

 それゆえに、

 ――作者側のご都合主義では?

 と訝られやすいのですね。

 

 ……

 

 ……

 

 ――事件は会議室で起きてるんじゃない。

 というのは――

 今から 25 年くらい前に上映をされた某刑事ドラマ映画の有名な台詞ですが――

 

 同じ発想で、安楽椅子探偵推理小説を詰るのなら、

 ――事件は安楽椅子で起きてるんじゃない。

 となるでしょう。

 

 ――安楽椅子に座ったままの探偵に何がわかるというのか。事件の真相は、そんなに簡単にはわからない。

 という批判です。

 

 そのような批判を乗り越えることによって――

 安楽椅子探偵の物語は躍動をしうるのです。

 

 短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、

 ――虫愛づる姫君

 の主人公・虫好きの姫にも安楽椅子探偵の役回りを演じるさせるのなら――

 同じような批判を乗り越えていく必要があります。

 

 その批判は、差し詰め、

 ――事件は脇息(きょうそく)で起きてるんじゃない。

 といったところでしょうか。

 

 ――脇息に寄りかかったままの虫好きの姫に何がわかるというのか。自然の実態は、そんなに簡単にはわからない。

 という批判です。