小説の気楽な点の一つは、
――たいていの場合は、筆者の主張が展開されていない。
ということでしょう。
理由は簡単で――
小説では、虚構であることが前提だからです。
仮に筆者の主張が展開されていたとしても、
――だって、ウソかもしれないわけでしょう?
で、受け流すことができます。
また、仮に筆者の主張が展開されていたとしたら――
それだけで、小説の雰囲気は壊れてしまいます。
そこで描かれる世界の情緒が損なわれる――
そこで描かれる人物の情念が損なわれる――
そうした情緒や情念が損なわれるのを、小説家の多くは嫌います。
――神は細部に宿る。
といいますが――
小説でも、そこは同じです。
よって――
小説では、筆者の主張が展開されることは、きわめて稀なのです。
このことを、小説の読者は十分に意識しておくとよいでしょう。
筆者の思惑や思想や哲学などを頑張って見破ろうとする必要がないからです。
小説以外では、そうはいきません。
見破ろうと頑張らなければならない――
評論や論説や随筆では、筆者の主張を展開するのが本来の役割ですから、仕方がないにしても――
報告書や説明文などでは、本来は報告や説明に徹せられるべきなのに、さりげなく筆者の主張が展開されていたりする場合があります。
その欺瞞を読者は看破しなければなりません。
実際には筆者の主張がされているのにもかかわらず、それに気づかず、その主張を無意識に受け入れてしまう――
これは、読者にとっては、かなり危険なことです。
加工食品を食べるときに、添加物を確認しないで食べるような危うさです。