8月10日の『道草日記』で、
――戦争の情緒や情念を後世に残すのは難しい。
というようなことを述べましたが――
そうしたものが、もしも残せるものならば――
残したほうがいいに決まっているとは思っています。
情緒や情念は個人の心の私秘的な部分ですから――
それを他者が共有することは至難の業だとは思いますが――
共有できるものなら、共有したほうがいい――
頭でっかちの戦争理解というのは、やはり、どうしても心もとなく感じてしまうのですよね。
では、どうやって戦争の情緒や情念を後世に残すのか――
――虚構の力を借りるのが一番だ。
と、僕は考えています。
戦争の情緒や情念を物語で伝えるのです――小説でも、マンガでも、映画でも――
体験談では弱い――
非虚構の形式で、当時の社会風潮などを余すことなく伝えるのは、困難です。
仮に伝えられたとしても、その内容は複雑で多岐にわたり、理解するほうが諦めてしまうでしょう。
虚構の形式であれば、何とか大丈夫です。
現代の社会風潮などを基に物語を構築してしまえばいいのですから――
その物語が伝える戦争の情緒や情念は、当時のものとは相当にズレるでしょうが――
それでも何かが伝わるでしょう――その物語の虚構の力が本物であれば――
虚構の力とは、物語の受け手を物語に引き込ませる力のことです。
虚構の力が強い物語は、その内容がウソだらけだとバレてしまっていても――
それでもなお、物語の受け手の心を捉えて離さないのです。