マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

詩歌と評論とでは

 ある著名な詩人が――
 自らの作品の中で、

 ――人には皆それぞれに固有の良さがある。

 といった一般的な道徳概念に触れて――
 実に慎重にも、あえて主観的に、

 ――私にも、私に固有の良さがある。

 と言及しているにもかかわらず――

 その詩人の作品を引用し――
 その作品の中で、

 ――「人には皆それぞれに固有の良さがある」という道徳概念が、さも客観的かつ普遍的な真理として主張されている。

 と指摘している評論を見かけ――
 ちょっと暗い気持ちになりました。

(“虎の威を借る狐”とは、まさに、このことじゃないか)
 と思ったのですね。

 詩歌と評論とでは――
 そもそも媒体――文芸的手法――が、別次元です。

 そして――
 詩歌では、通常、作者の私秘的な心情が語られます。

 評論で示される理念――事実に基づき、論理的に展開される理念――とは無縁の情念が語られます。

 理念と情念とは、基本的には、交わりません。

 よって――
 詩歌の作品のどの部分を抽出しても、評論にとって直接的に有意義な補強材料を見出すことは、不可能であるはずです。

(それなのに、なぜ?)
 と思ったのですね。

 その詩人の作品を――
 僕は、いたく気に入っているだけに――

 そして――
 その評論を書いた人も、たぶん同じように気に入っていると思えただけに――

 何とも釈然としない気持ちになったのでした。